mclean chanceです。
「いーぐる」 は、1967年に四谷に開業したジャズ喫茶で、昨年50周年を迎えました。
隣がいつのまにかカレー屋になってました!
階段を降りると、
内装は基本変わりませんが、数年前にトイレが新しくなりました。
店長の後藤雅洋さんは、まだ慶應大学の学生で、ものすごくジャズに詳しくない状態からスタートしたそうですが、後にジャズ評論家としても数多くの著作を出すほどの論客になっていきます。
現在70歳の後藤さんが、60代の村井康司、30代の柳楽光隆両氏とともに行った鼎談が昨年11月に出まして、その刊行記念イベントが「いーぐる」で行われるという事で行ってきました。
途中に休憩入りましたが、3時間に及ぶ、かなり濃厚な内容でしたが、前半は現在のジャズの面白さ、後半は現在のジャズにつながるミュージシャンの系譜についてよ議論で、概ね本の内容に即したものです。
前半、特に議論になったのは、1980年代に活躍した、いろんな意味で対照的な2人、ウィントン・マルサリスとスティーヴ・コールマンの2人です。
ウィントン・マルサリス。地位と名誉を手にした彼は今後どこに進むのか。
ウィントンは、アート・ブレイキーのジャズメッセンジャーズの久々の逸材として注目され、「リー・モーガンの再来」とまで騒がれたトランペッターでして、ソロとなって活動しはじめてからの作品は、いずれも注目を集めるものでした。
その音楽家としての社会的な地位は、リンカーンセンターの音楽監督という、アメリカ合衆国で望みうる最高の地位を得ることができました。
当然ですが、トランペットの腕前はとてつもないものがあります。
コレに対して、コールマンは一般的な知名度は未だに低いですが、彼は教育活動に熱心であったこともあり、彼の音楽の考え方の影響を受けた人々が次第にジャズシーンの中心を担うようになる事で、現在再評価が高まっているアルトサックス奏者です。
鼎談の中で、後藤氏はコールマンを俄然支持し、柳楽氏はウィントンを評価していましたが、村井氏は、基本的には前者の立場ですが、イベントでかけられた『Standard Time vol.1』だけは今でも聴くと述べておりました。
政治的な戦略も巧みなウィントン。
コールマンは現在も意欲的にアルバム作ってますが、この頃の突っ張っている感じは独特でした。当時アメリカでは全く相手にされなかったそうですが。。
論を進めていく中で、ウィントン、コールマン両者には共通点があって、それは、音楽をとても知的なコントロールのもとで作っていこうとする態度が実は同じであるところがわかってきます。
ウィントンは、ワンホーン・カルテットという、モダンジャズではオーソドックスな形を使いながら、BPMを自在に変えながらも一糸乱れぬ演奏をまるで涼しい顔をして演奏しているような態度を提示するのですが、コールマンは、変拍子のリズムの上に調性感の薄いアルトサックス、トランペット、キーボードが宙を舞うように演奏していて、白熱しつつも、どうオチをつけるのかわからないような状態をずっと維持し続けるという、不思議な演奏をします。
両氏の演奏はまるで違いますが、ともにある知的な戦略がともにあるわけですけども、ウィントンは「ものすごくハイテクニックを難なくこなし、表面上は一切燃え上がらない」という事に力点を置いていて、コールマンは、「新しい形の熱狂とクールネスの同居」というコンセプトをバンドのメンバーと完全に共有しているかなり強固な演奏です。
後藤氏は、この、ウィントンの「戦略」が昔からお好きではなく、その反証として、同じ編成で行った、「ブルース・アレイ」でのライヴ盤をかけ、ウィントンが無心でトランペットを熱狂的に吹きまくる演奏を聴かせます。

このライヴ盤は『Standard Time vol.1』と同じ頃の録音。つまり、あの演奏は意図的にやっているわけですね。
しかし、柳楽氏はコレを受けて、2人の考え方が進みすぎていたりして、まだ、音楽として練りが足りなかった結果であり、その点から考えると、実は同じなのではと指摘していたのは大変な慧眼だと思います。
昨今のジャズメンの大半は、音大でジャズを勉強して、その楽理や技術をかなり合理的に身につけている人が多く、こういう人たちがウィントンなり、コールマンのコンセプトを理解し、しかも、より高度な形で実現できるようになっていった事が、2010年代において、実を結んでいっていった事がよくわかります。
コールマン門下生は、主な人たちを挙げると、ヴィジェイ・アイヤー、アンブローズ・アキムシーレ、スティーヴ・レーマンなどなど、音楽的にも明らかにコールマンの影響を受けつつもそれを更に発展させている人々でありますね。
ヴィジェイ・アイヤー
アンブローズ・アキムシーレ。

スティーヴ・レーマン。ヘンリー・スレッギルからの影響もありますね。
もう1つは昨年生誕100年であった、ユニークなジャズピアニストのセロニアス・モンクの影響力です。
その時空を軽く歪めるような、モンクの独特の自作曲はそのユニークな演奏とともに、唯一無二の存在ですが、コレが現在のミュージシャンの創作意欲を刺激し続けているというのは、ホントに恐るべき事です。
それほどまでにモンクの作り出した音楽の強度はものすごいわけですね。
さて、休憩を挟んでの後半は、これまで顧みされてこなかったジャズミュージシャンとして、ブッカー・リトルとポール・ブレイの音源を聴いて、その影響を語るとものですが、特にリトルというのは、大変若くして病死してしまったため、リーダー作も少ないので、ジャズファンの中でも余り話題に上ってくるトランペッターではありません。
リトルのトランペットがジャズファンに上ってくるのは、エリック・ドルフィーの「ファイヴ・スポット」のライヴ盤くらいでしょう。
しかし、先程あげたコールマン門下生のアンブローズ・アキムシーレの最新作である、「ヴィレッジ・ヴァンガード」でのライヴ盤での演奏を聴くと、そのどこかたゆたうような吹き方が実はよく似ていて、たしかに、最近のジャズメンはこれまで顧みられていなかったジャズメンから新しい表現を獲得しようとしている事がわかります。
村井氏は、この2人のトランペッターの真ん中に、ウディ・ショウがいるのではないか。と指摘したのは、慧眼です。
鼎談では出てきませんでしたが、デイヴ・ダグラスが『In Our Lifetime 』という、ブカ・リトル作品集を、1995年に録音してますけども、彼もこの系譜に加えてもよい気がします。
もう1人は、近年惜しくも亡くなったポール・ブレイですが、ここでは対照的な2枚がかかりました。
一般的には駄作と言われることが多い、ソニー・ロリンズの『Sonny meets Hawk!』のサイドメンとして入っている、ブレイの「All The Things You Are」とソロピアノの名盤『Alone, Again』から、元奥さんであるカーラ・ブレイ「Ojos de Gato」です。
前者は、まだブレイがスタイルを模索している時代の演奏であり、後者はスタイルを確立した後の名演です。
ブレイは同時代の大スターである、キース・ジャレットという圧倒的な存在の前にどうも霞んでしまった感がありますが、その実力は大変なものです。
前者を鼎談でもかけた柳楽氏によると、ポール・ブレイのこの演奏に現在活躍するジャズメンの多くが注目しているのだ。というのです。
演奏を聴く限りでは、まだ、ブレイは個性を発揮しているとは言い難いですが(ロリンズやコールマン・ホーキンスとブレイが共演する意義はかなり乏しいですしね。。)、その燃え上がらない、ウネウネとしたバップピアノとは明らかに違うところを狙っていこうとする演奏は、ジャズメンにとっての、何らかのヒントになっているように思います。
しかし、コレは後藤氏も述べているように、ミュージシャンが音楽を聴く時の態度というのは、自分の表現にとってヒントになり得るのか。がメインなのであって、聴き手はやはり個性が十全に発揮された作品でなければ、面白いとは思いません。
要するにファンにとっては、面白いかどうかしかありません。
ちなみに、スタイル確立後のブレイのピアノの影響力はものすごいです。
全体を通じで思いましたのは、90-00年代のジャズは表面的な 変化が見えにくく、面白いアルバムもあったのですが、聞いていてシンドかったり、面白くないものがかなりあったのは、事実でした。
しかし、本の中でもで述べられたような、大学教育における蓄積や、ヒップホップやネオソウルなどの周辺ジャンルとの交流が進む中で、ようやく2010年代に花咲いたという事が言えるようです。
それが、ロバート・グラスパー、カート・ローゼンウィンケル、ブラッド・メルダウ、ドニー・マキャスリンらの活躍として見えてきました。
カート・ローゼンウィンケル。
本で紹介された新しいジャズのアルバムてまだ聴いてないものが結構ありましたので、当面はコレをシッカリと聴くことから更に理解を深めていきたいと思いました。




