アンリ・コルピ『かくも長き不在』

 

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やっと見ることができました。


VHSもないし、DVDにもならないし、映画館で上映しないの三重苦作品のトップと言ってよい作品がとうとうDVDになった事に快哉を。


7月14日のパリ祭(このような言い方は日本だけです。ルネ・クレールの映画の邦題にちなんでいます。それにしても、「パリ祭」というのは、素晴らしい意訳だと思います)。


この日もいつものようにカフェを切り盛りするアリダ・ヴァリ演じるテレーズ。

 

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かなりグイグイいってしまう役に説得力を与えられるのは、アリダ・ヴァリ以外には考えられないでしょう。

 

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バカンスに入り、街はガランとしてしまいます。



しかし、パリ祭が終わると、フランスは一気にバカンスのシーズンにも入ってしまい、パリの郊外は閑散としてしまいます。


そんな所に、フラっと現れた男。


テレーズは、どこかで見たことがある人と思いながら思い出せません。


男は鼻唄を歌いながら、この界隈を日々彷徨っていて、どうやら、セーヌ川の近くで野宿しているようです。


男はどうやら過去の記憶をなくしており、自分が何者なのか全くわかりません。


記憶を失った男は、雑誌の切り抜きを箱の中に蓄えています。


「失われた時」を埋めようとしているのでしょうね。


テレーズは、どうやら、この男を知っているようなのです。

 

そして、テレーズのカフェ周辺に限定された場面設定、限られた登場人物という、ちょっと変わった設定の中、一体この男は何者なのか。テレーズとの関係を決して饒舌にではなく、ジックリと、極めてシャープな白黒映像と編集で見せていくんです。


こういう、甘さのない、ドライな感覚は、フランス映画ならではで、同じ頃のアラン・レネ『去年マリエンバートで』ほどではありませんが、かなり極端な設定で語られる「男と女」(フランス映画は畢竟この問題に帰結しますね)。


ここまで書くとおわかりだと思いますし、もはや、映画史に残る作品ですから、ネタバレしてもその面白さは1ミリも損なわれないのでありましょうから書きますが、この男は、どうやら、第二次世界大戦中に生き別れた夫らしいのです。


しかし、夫と思しきこの男は、過去の記憶を一切失ってしまった、かなり重症の記憶喪失者なのでした。


唯一覚えているのが、ロッシーニのオペラ、『セビージャの理髪師』(フィガロの結婚の前日譚です』の一節。というのが実にうまいですね。


ですので、ホントにこの男に夫かどうかを証明する事ができません。

 

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彼は本当にアルベールなのだろうか。


この絶望的な悲劇を生んだ戦争を声高に告発するのではなく、2人の、不器用な中年男女を淡々と描く事で伝わってくる、誰にもぶつける事のできない悲しみが見事に伝わってきます。


セリフも必要最小限に切り詰め、説明的な部分はほとんど排除しています。


本作の公開は1961年ですから、戦争の記憶は世界中の人々には生々しく、この映画を当時の人々は相当なリアリティをもって見たのではないでしょうか。


監督のアンリ・コルピは映画の編集として大変有名ですが、映画監督としての作品はとても少なく、本作は彼の代表作と言ってよいでしょう。

 


あえて、ガランとしたロングショットを多用し、男の悲しみすら失われてしまった、空っぽの心象風景を表現しています。

 

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セーヌ川のほとりでホームレス生活している。


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非常に効果的なショットですね。

そこに男の何度もくりかえされる鼻唄が切なく響きます。


ラストシーンの、名前を呼ばれて、男が思わずしてしまう行為が、あまりにも悲痛ですね。。


脚本、マルグリット・デュラス、音楽、ジョルジュ・ドリュリューという、最高の布陣の見事な作品でした。必見。

 

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ダンスシーンは映画史に残る名シーンだと思います。

 

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