Miles Davis『Sorcerer』(columbia)


personnel ; 
Miles Davis(tp), Wayne Shorter(ts), 
Herbie Hancock(p),Ron Carter(b), 
Tony Williams(drms)

Frank Rehak(tb), Paul Chambers(b), 
Jimmy Cobb(drms),
Willie Bobo(perc), Bob Dorough(vo),
Gil Evans(arr)

Recorded at 30th Street Studio B, NYC on May 16, 17, 24, 1967,
at 30th Street Studio A, NYC on August 21, 1962




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マイルスのキャリアの頂点と言ってよい、クインテットでした。



このアルバムは、ジャズを本格的に聴いてみようと思って買った最初のアルバムでした。

理由は私が知っているジャズメン、マイルス、ハンコック、ショーターが入っていたからです(笑)。

いっぺんに聴けるなんてなんてお得であろうと思ったんですけども、コレ、当時は全くわかりませんでした。

異様なまでに静謐で、とてつもないテクニックで演奏されているのはわかったんですが、余りにもとらえどころがないというか。

しかも、全曲同じに聴こえてしまい、最後の1962年の、ボブ・ドロウのヴォーカルが入った演奏ばかりが耳に残るアルバムなんですよね。

マイルスのアルバムの中で最も難解なアルバムである事が後でわかってくるんですが(笑)、とにかく、とてつもないことだけはとにかくわかる。という手に負えないアルバムのトップクラスでした。

コレと比べると、テナーサックスがジョージ・コールマンの頃のクインテットの『Four and More』のわかりやすいことわかりやすいこと。

当時、18歳くらいであった天才少年のトニー・ウィリアムズが煽りまくり叩きまくりの中、全員が燃えまくるライヴは(しかし、根底にクールネスが常にあります)、な誰が聴いても興奮する、わかりやすい演奏です。

それに対して、このクインテットの演奏は明らかに別モノです。

今にして、何が難解であったのか、考えてみますと、リズムセクションに原因がありますね。

ハンコックはマイルスやショーターがソロを取ると、ほとんどバッキングを弾きません(自叙伝を読むと、マイルスが「弾くな」と言ったようです)。

トニーも、あのライヴのような叩き方よりも、後の『In The Silent Way』のような比較的ミニマルな反復を基調にしており(しかし、全く単調な作業ドラミングではありません)、ロン・カーターのベイスは余りにも自由奔放で、もはやリズムセクションですらありません。

こうしてみると、ボトムがフワフワとしているんです。

しかも、その上で演奏するマイルスとショーターは、調性感がかなりありません。

コレは、すべての曲がそのように作曲されているからで、驚くことに、ショーター、ウィリアムズ、ハンコックがそれぞれ作曲しているんですが、全員が似たよう曲になっているのもすごいですね。

調性をものすごく薄くすると、曲調な似てきてしまうんでしょうね。

シベリウスの交響曲もそういえばそんな感じです。

なんだかこうして書いているとフリージャズみたいですが(ボンヤリ聴いていると、オーネット・コールマンのカルテットみたいに聴こえるんです・笑)、明らかに強力なルールが存在しているんですね。

そのルールに基づいて、自由奔放に全員が演奏しているので、フリージャズになりそうでならないわけです。

この余りにも高踏的な演奏を当時理解する人は余りいなかったようで、コレと次回作の『Nefertiti』はマイルスのアルバムとしては、悲劇的に売れなかったらしいです。。

マイルス史上、参加メンバーがこんなに渾然一体となって1つのサウンドをグループで完成させたというのは、多分、このクインテットだけであり、本作はその極点であり、アコースティックジャズが到達した極点なのであり、未だにコレを超えるアコースティックジャズというものは存在しません。

さて。

このアルバムのもう一つの謎は、このようにとてつもないところに上り詰めてしまったマイルスたちの演奏の最後に、全く脈絡もなく、1962年の、ギル・エヴァンスがアレンジした2分にも満たない演奏が付いているのだろうか?という事なんですが、マイルスを知る上でも重要な『自叙伝』でもよくわかりませんし、プロデューサーである、テオ・マセロの発言も読んだことがないです(もし、あったら教えてください)。

コレが誰の意図でつけられたのか、よくわからんのですが、マイルスという人は、録音してしまうと、あとはプロデューサーに任せきりで、出来上がったアルバムにもそれほど興味を示さず、もう次の事を考えているような人はだったらしいので、最後の曲をつけたのは、多分に、テオの判断なのでしょう。

テオの編集の大胆さは、エレクトリック期になると、ホントに大胆になっていきますが、多分、ココでもその鱗片が出ていたのではないでしょうか。

クインテットの演奏を聴いて、編集して何度も聴いていると「こりゃ、とんでもないアートだ!」とテオは驚いたんだと思います。

そして、同時に「アート過ぎて、マイルスが怒るだろうな、コレ」とも思ったのか、どこか壊してみたい。と暴力的に思ったのかは、もうわかりませんが、あの2分に満たない、それ自体はものすごくヒップでカッコいい演奏なのですが、明らかに目指している地平が違う演奏が最後に来ることで起こる絶妙な脱構築が、なんだか、ゴダール作品の唐突に音楽がブツリと切れたり、また、始まったりという、あの、暴力的なクセに美しくてオシャレ感すらあるあの感覚に近いもので、最後にケムに巻かれるんですね。

ウットリしてたところにスコーン!と打ち込まれるような。

そういう、マイルスとテオによる共犯関係が、まだジャブを食らわすくらいですけども、少しずつ始まりつつあるという意味でも重要な作品です。



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