デューク・エリントンという困難


McLean  Chance(紙のジャズ)




1920年代のエリントン・オーケストラでしょうか。編成がまだ小さめです。



恐らく、ジャズをある程度聴いた人で、デューク・エリントンの名前を聞いた事がない人はいないでしょう。


しかし、その割にはエリントンを聴いたことがない。という人が多いのもまた確かなのです。


中古レコードの値段というのは、そういうファンの好みを冷酷に反映していまして、デューク・エリントンはまことに安い。


コレに対して、1950-60年代のブルーノートやプレスティッジ、リヴァーサイドと言った、モダンジャズの廃盤レコードはべらぼうな高値がつきます。


モノによっては50万円にもなるのですね。


要するに、日本のジャズファンは、小編成のハードバップなんです。


デューク・エリントンは1899年に生まれ(昭和天皇、アルフレッド・ヒッチコックと同い年です)、1974 年に亡くなっていますので、モダンジャズの第1世代である、1920 年代生まれの人たちよりも一世代年齢が上です。



デューク・エリントン。


本格的な活動を始めるもの、第一次世界大戦が終わって空前の好景気に沸いていた1920年代からですから、録音がこの頃からある人です。


一部の例外を除いて、エリントンは一貫して自分のオーケストラを率いて、活動を休止することなく、1970年代までライヴと録音を亡くなるまで続けるという、驚異的な人でした。


同じく、長らくビッグバンドを率いていた、カウント・ベイシーも1930年代からカンザスシティで活動を開始してからベイシーが1984年に亡くなるまでを考えても、第二次大戦の勃発によってバンドが維持できなくなり、一度解散していますから(1960年代もロックの急速な勃興によってかなり厳しかったようです)、エリントンが如何に驚異的な存在であるのかがわかります。


よって、作品が莫大に残されているのと、その演奏形態のほとんどがビックバンドであるというのが、どうにもとっつきにくいんです。


ジャズファンがカルテットやクインテットという小編成を好むということは何を聴こうとしているのかというと、要するに、ジャズメンの個性を演奏から聴き取りたいんです。


大編成になるということは、ソロはあるんですけども、当然ながら、アンサンブルやアレンジが重視されます。


また。ビックバンド。というものが偏見を増大する事実がありまして、それは、昔の歌謡曲というのは、ジャズのビックバンドとほとんど同じ編成で演奏しているんです。


それはピンクレディであろうと、西城秀樹であろうと、五木ひろしであろうと、実はそれほど変わらないんです。


戦後の日本の芸能界の基礎を作ったのが、実は、日本人のジャズメンたちであったことが大きいんですけども、その話しをしていると話が大幅に横道に向かいますので、一切はしょりますが、アメリカ発祥の、それこそ、「モダンな音楽」としてジャズを聴こうとしている若い人たちにとって、歌謡曲のバックと同じ形態で長年やっているエリントンは、音楽を聴く前に「ダサい」という先入観ができてしまったの可能性があります。



昭和のお化け番組の1つ『8時だよ!全員集合』のバックで延々と演奏していたのも、ゲイスターズというビッグバンドです。


ロックが小編成なのもコレを助長し、


小編成=カッコいい

大編成=ダサい


というイメージが形成されたような気がしないではないです。



個性的な4人組が演奏が自作自演する。という強烈な体験をしてしまった世代には、ビックバンドはどう映っただろうか?


実際にエリントンを聴いてみますと、とてつもなく生々しく、新鮮な音楽であるんですが。。

エリントンは、60年代以降は積極的に小編成の録音も残しており(それ以前はポツリポツリとしかやってません。ジョニー・ホッジスとのヴァーヴでの共演盤はダダを捏ねている息子をあやすために作られたものと推測されます)、とりわけ、ジョン・コルトレインと共演した『Duke Ellington & John Coltrane』や、チャールズ・ミンガス、マックス・ローチとの鉄火場のような演奏を記録した『Money Jungle』は一般的なジャズファンでも聴いている方は多いのですが、晩年のエリントンは、組曲に取り組んでいたので、アドリブソロ重視のモダンジャズのファンには、何か噛み合わないんです。



エリントンの強烈なピアノを聴くには、『Money Jungle』が最適。



エリントンの名曲をすべて新しいアレンジで改めて録音した名曲集。録音も優秀で入門編に最適。



晩年は新曲でかつ組曲を次々と発表するエリントン。いずれも名曲ですが、とりあえずは『極東組曲』から。


つまり、エリントンというのは、戦後のジャズ受容において、ことごとく噛み合っていない事が、エリントンという宝の山から遠ざかってしまっているんですね。


しかし、実際に聴いてみるとエリントンは1920年代から70 年代までつまらない時代などなかったですし、それは今聴いてもとてつもない強度をもっているんです。


エリントンの音楽は、基本はジャズを基盤としたポピュラーミュージックですから、例えば、ギル・エヴァンスのような難解な音楽ではありません。


オーケストラは1930年代までに作り上げた編成を基本的に守り続け、メンバーも長い人では、30 年以上在籍している人がいるくらいです。


エリントンほど、アタマのよかった人が、1940年代に起こったジャズの一大革命「ビバップ」に何の関心もなかったのかというと、それはウソでして、事実は、接近してピアノの奏法など一部影響を受けながらも、一定の距離を生涯取り続けた。というのところでしょう。


エリントンにとって一番価値を置いていたのは、自身のサウンドの追究であり、それを具現化するには、彼が生きた時代は「ジャズ」しか選択肢はなく、また、サウンドの保持をオーケストラによって行っていたので、突然それをやめて、小編成でソロを競うというビバップ以降のジャズの発想がどうしても相入れなかったんですね(ブラックミュージックとして、当時のエリントンの発想は相当に異端であったという事だと思います)。


それによって、アメリカ本国でも「時代遅れ」と見なされた側面はあったようですが、エリントンはジックリと時間をかけて、自身のサウンドを何十年もかけて少しづつ変化させていくという、誠に粘り強い方法論を取りました。


その事が、ジャズ史における彼の存在を孤高と唯一無二のものにしており、最早、ジャズというものから溢れてしまうんです。


サウンドを作る。という事をアメリカの黒人音楽として考えると、エリントンがもっと後世に生まれていたら、ビックバンドという非経済的な形態ではなく、スティーヴィ・ワンダやプリンスのようにほとんど1人で演奏して多重録音して音楽を作ったでしょうし(事実、2人ともエリントンを尊敬しております)、もっと近年なら、パソコンで延々と得体の知れない音楽を作り続けたのでしょう。




プリンス!


その時やっている音楽はジャズではない可能性が高いでしょうね。


さて。


長々と書いてしまいましたが、エリントンを親しむには、1つコツがあります。


それは、彼の音楽の個性は、やはり、そのオーケストラにあります。


エリントンはライヴや録音の度にアレンジを変えるので、同じ曲でも演奏がかなり変わるんです。


よって、エリントンにはビックバンドにありがちな定番とかお約束が実はありません。


コレはかなり驚異的な事で、しかも新曲がドンドン増えていくので(笑)、エリントンの音楽はどの時代でも新鮮であり続けました。


彼はオーケストラを解散して、メンバーを一新するような変え方を生涯せず、少しづつメンバーチェンジをしてくいくという、かなり慎重な人でした。


それだけ、自分のサウンドを大切にしていた事の証左ですけども、まさに、「自分の楽器」として何十年もチューニングし続けているようなやり方なんです。


言ってしまうと、クラシックのオーケストラと指揮者の関係とほとんど一緒なんですけども、エリントンはそこがもっと個々のジャズメンに負うところが大きいので、譜面やアレンジだけで成り立っているのではなく、ジョニー・ホッジスとかハリー・カーネイやクーティ・ウィリアムズが演奏する事が前提で出来上がっている所が独特です。



ジョニー・ホッジス。




クーティ・ウィリアムズ。




ハリー・カーネイ。




エリントンとビリー・ストレイホーン。



そこにエリントンならではの、夜の、歓楽街の、大人の、エロティックな音楽が出来上がっていくんですね。


その濃密なアンサンブルと取り替え不能と言ってよい個性的なソロの絶妙なバランスをそれぞれの時代に合わせつつ更新する事で、常にフレッシュであり続けた音楽であった。という事に気がつけば、エリントンの音楽のすごさというものが立ち上がって来るんですね。


そういう、ホンのちょっとした考え方の転換とコツを掴みとれば、エリントンの豊穣の世界に入る事ができます。