アラン・ゴミス『私は幸福』

 

※公開したばかりですので、絵はございません!



 アラン・ゴミス監督。ギニアビサウとセネガルの血を引いているフランス人です。かなりデカい人だそうです。


幸福。は、フランス語でフェリシテと言いますが、主人公の名前がフェリシテと言いまして、ダブルミーニングになってるんですね。

日本語でいうと「幸子のシアワセ」的なタイトルでしょうか(日本語にすると、ものすごい昭和感がありますね)。

えー、本作の舞台はコンゴ民主共和国なので、昭和感など微塵もなく(笑)、アフリカ都市の持つワイルド感、カオス感が見事なまでに撮られていて、アフリカが好きな方にはかなりたまらない映像のオンパレードです。

ストーリーは恐ろしくシンプルで、オートバイとの接触事故に遭ってしまった息子の手術代の前金をかき集めるために、必死になる母親のフェリシテの奔走が前半なんですけども、イタリア・ネオリアリズモも驚くような貧しさの現実がイヤというほどキレイごとでなく見せるんですが、その合間合間に挿入される主人公フェリシテの仕事である歌手としての場面のなんともしらん雰囲気が素晴らしいんですね。

全体として、ストーリーの巧妙さよりも、その断片的に積み上げられたキンシャサの街並み、そこに映る人々、ストーリーに一切関与しない、黒人によるクラシックのオーケストラと合唱の演奏が実に巧みなんですよね。

後半はそれが更に進んでいって、ハリウッド的なプロットはほとんどどこかに行ってしまって、中南米文学のようなマジックリアリズムの世界に入っていくんです。

ココがゴミス監督の真骨頂なのだと思いますが、ココが見事でしたねえ。

カギとなるのは、主人公のフェリシテが息子のサモ交通事故、経済的困窮というどうしようもない現実と向き合うための重要なカギとなるのが音楽であるというのが、ホントに嬉しいです。

結局、フェリシテが自分を取り戻すのは、音楽なんですね。

登場人物はとても少なく、言ってしまえば3人しかいないも同然で、フェリシテと呑んだくれオヤジのタブー(コレもダブルミーニングになってますね)、そして、息子のサモだけです。

そして、ヘタをすると登場人物よりももっと重要なのは、生々しいキンシャサの街並みですね。

それをネオリアリズモではなくて、マジックリアリズムで撮っているのが、ゴミス監督の独自性でしょうね。

なかなかの逸品でした。

 

 

 

 

ポスター。アフリカ音楽の見事さが際立ちます。

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