Japan『Tin Drum』

 


邦題は直訳の『ブリキの太鼓』ですけども、フォルカー・シューレンドルフの映画(原作はギュンター・グラス)を表現したのではなくて、共産趣味とファンクネスと東洋へのエキゾを融合するという、他に類例をみない自閉的妄想音楽となっております。

今となっては元Japanのヴォーカルであった痕跡など微塵もなくなってしまいましたが、この頃の歌い方は、日本のヴィジュアル系バンドに未だに影響を与えていますよね。

 


近年のシルヴィアン。孤高のミュージシャンである。

 

日本でのジャパン受容には、間違いなくそういう側面がありました(当人たちがそれをどう思っているのかはよく知りませんが)。

では、ヴィジュアル・イメージ先行のハッタリ音楽なのかというと、実はさにあらずで、音楽の志はとても高いです。

曲のタイトルから中国や東南アジアなどへの憧憬を感じますが、それはほぼリーダーである、ディヴィッド・シルヴィアンの妄想だと思います。

別に理論的に詳しく調べた事をやっているという感じではなくて、あくまでも、シルヴィアンのアタマにある「アジア」や「アフリカ」なのでしょう。

ある種のエキゾチズムなのだと思いますけども、そういう部分が不思議とYMOとも親和性があるのが驚きです。

ジャパンのメンバーは、その後、坂本龍一や高橋幸宏と音楽活動を共にする事が度々ありますね。

細野晴臣がYMOを結成するにあたって、自分の音楽的ルーツを考え直したそうですが、日本人がアメリカ音楽に憧れて音楽活動しているだけで、実はそこに何もない、空っぽだ。と思ったのだそうです。

そして、そういう何もない薄っぺらな存在が日本人なのだ。という事を表現しようとしたのがYMOだったそうです、、

凄まじい達観ですが、シルヴィアンが何を考えてもこのような音楽を作り上げたのかは私はわかりませんが、この、キーボードを多用した意図的な薄っぺらい音作りは、何が細野の考え方と共振するところがないではないですね。

この上ない空虚さを埋めあわせようとするシルヴィアンの自閉的な妄想と韜晦感は、ジャパン独特の美学を作り上げているように思えます。

ジャコ・パストリアスのベイス奏法をロックの中でいち早く取り込んで自分のモノとしているミック・カーンのベイスは、やはり特筆すべきものです。

本作をもって呆気なく解散してしまいましたが、これだけの作品を最後に残したのですから、彼らには何の悔いもなかったでしょう。

 

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アンディ・ウォーホルへの憧れもありそうですよね。

 

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