ウディ・アレン『レディオデイズ』
一応、このユダヤ系の家庭を中心に描かれます。
「レディオを聞くなんて、なんてケシカラン!」
この「レディオ」に「テレビ」や「ゲーム」、「インターネット」を代入すると、おんなじことが言えると思いますけども、アレンの子供の頃を回想したような、可愛らしい、そして、彼ならではの毒気とニヒリズムも少々ある、小傑作。私は、この頃のアレンが1番好きですけども、これまでは自分で主演する映画はばかり撮っていて、それが、『カイロの紫のバラ』では監督に専念して出演しなくなり、とうとう本作では、ナレーションのみで出演しなくなりました(出演しないのは、『インテリア』が最初ですけども、あれは彼の中では異色作でしょう)。
彼の病的なまでな自意識過剰なキャラクター造形には、嫌悪感を催す人も少なくないと思いますが(私はとても好きですけども)、彼のナレーションは、全体のトーンを決めてしまうほど強烈で、毒がありますよね。
あの過剰なしゃべりがないと、やっぱりアレンの映画ではない。
冒頭の泥棒が、仕事中に電話に思わず出てしまって、それがレディオの曲名あてクイズだった。というのは、彼の映画の中でも出色の名シーンだと思います。
コレには、面白いオチがあるので、見てのお楽しみです。
タイトル通りの、レディオ(と映画)が娯楽の全盛期だった時代を描いている、ノスタルジックな映画です。
1930〜40年代の古きよきアメリカの映像を見事に再現した映像に、あのトゲトゲしいアレンのしゃべりを敢えて全編にわたって被せていく。という作り方は、彼のある種の照れ隠しなのでしょう。
明確なストーリーの様なものはなくて、アレンがいろんなエピソードを回想するように(実話ではではなくて、回想風。というところがミソ)映画は、レディオをめぐるエピソードを絶妙につないでいる感じです。
ミア・ファーロウのエピソードが全体の中では結構中心に描かれます。
フェリーニの『アマルコルド』辺りを意識して作ったのかもしれません。
おっぱい星人たち(笑)。
個人的には、カルメン・ミランダの歌に聴き入っているシーンがよかったですね。
こういうセンスの良さがたまらなくいいですねえ。
あと、ミア・ファーロウの演じるちょっとアタマの悪そうな女性と、ギャングのダニー・アイエロのエピソードですね。
こういう、レディオばかり聞いて育ったロクデモナイのが、何を隠そう、ウディ・アレンなのでした。という一席でございました。