高畑勲、宮崎駿『アルプスの少女ハイジ』 その3




実際は「立った」ではなくて「歩けた」までできてます。


第3部は、ハイジをこれ以上ゼーゼマン家にいる事は、精神的に危険であると医師に判断されて、再びアルムに戻ってくるのですが、第1部とは比べ物にならないほど内容が複雑で登場人物が一挙に増える点がなんといっても特筆すべきですね。





右がクララの主治医。


帰ってきたハイジがクララのおばあさまからもらったグリム童話集やクララからの手紙を読む姿をアルムおんじが見て、頑なに学校に行かせようとしなかった考えがとうとう変わった。という所がキッカケとなります。


冬は麓のデルフリ村で生活し、ハイジはペーターと一緒に学校に通うようになるのです。 


ハイジは単にドイツ語の読み書きができるようになっただけではなく、世界が広がったんですね。


登場人物も村人の登場する場面が増えますので、物語としての印象が相当変わります。



ハイジのおみやげ、ご存じ「白パン」に喜ぶ、ペーターのおばあさん。


ご存知のように、クララがアルムにやってくるという、物語最大の山場があるわけですけども、ペーターの人間的成長も実は見どころです。


山羊飼いとしての仕事があるため(それだけ貧しいということなんですけども。。)、普段は学校に行く事が出来ないペーターが、冬だけは学校に通うことになっていたのですが、学校に行く事に意味を見出せはず、サボり気味でした。


ペーターは、第3部の段階で14歳でくらいになっているのですが、ほぼ文盲と言ってよい状態でした。


しかし、ハイジたちがデルフリ村で冬だけは生活する事になると、サボりがなくなります。


本作で数少ないアクションが繰り広げられる、村の子供たちのそり大会で、ペーターは自作のそりで参加しますが、それは、おんじの家で作成したものでした。




おんじは、「学校帰りに作ってもよい」という条件で材木も道具も自由に使わせ、ペーターはほとんど自分1人で完成させるのです。


勉強がサッパリで歳下のハイジが読み書きがドンドンできるようになっている事で(クララに、ヘタくそながらも手紙を何度も書いているくらいです)、ペーターはかなりかなり卑屈になっていたと思いますが、ソリ作りにスッカリのめり込んでいく姿が描かれます。



こういう男の子の描かせると、天下一品です。


宮崎駿の作品にしばしばこういう場面が出てきますけども、男の子というものは、こういう時期が必要なのでしょうね。


クララがどうしても山の上の花畑に行きたいことを知ると、クララをおんぶして連れて行ったりもします。




この時、クララは「ハイジのように走り回れたら、どんなにいいだろう。歩けるようになりたい」と初めて言うのは重要ですね。


そして、自分のためにペーターやハイジ、そしておんじたちがクララのためにどれだけ心を砕いていたのかに初めて気がつくんですね。


病弱で足が不自由であり、お金持ちのおじょうさまですからお世話をしてくれるのが当たり前の生活であったため、この事になかなか気がつけなかったのですね。


そんなクララが初めて役に立ったのが、ペーターのおばあさんのために聖書を読んであげる事だったんです。


コレは、クララがハイジに「7ひきの子やぎ」のお話するエピソード、そして、第3部になって、ハイジがおばあさんのためにたどたどしく聖書を読んであげるというシーンが伏線になっているのですが、クララは自分が人のために役に立つ事ができる事に気がつくという、とても重要な場面です。


第3部、というよりも本作に一貫してしているテーマは、「他人のためにつくす事の大切さ」は、最後はクララを立たせるために、あらゆる人たちの尽力があった事は言うまでもありません。


実は、クララが立ち上がるのを最初に目撃するのは、クララのおばあさまであるのは、意外と忘れられているのかもしれません(それがクララが歩けるようになる事への決定的な確信になるんですね)。


そして、最終回にチラッと再登場するロッテンマイヤーさんが、「この調子なら、春には山に行く事ができますよ」とお屋敷の階段を使っての歩行練習を手伝いながら、クララに優しく語りかけるのは、けっこう驚きます。





前半ではコナンばりにムチャなアクションもしてくれました(笑)。


ロッテンマイヤーさんにも、クララが歩けるようになったと言うのは、強烈な出来事だったのでしょう。


もっと言いますと、実は、歩くためのトレーニングは話数的にいうと、そんなに多くないです。


時間をかけているのは、クララがホントに山に来ることが出来るのか?という事と、デルフリ村と山の生活に馴染むことや人々との交流、ハイジペーターやクララ、ハイジの内面的な成長、おんじの変化なんです。



特訓よりも、3人で遊んだりするシーン方に時間を割いてます。今みると、呆気ないくらいクララはすぐに立ててしまいますね。





ですから、クララが立てるようになるかどうかは実はそんなに主題ではなかったりします。


さて。


本作は、原作によると、1890年がスタート地点です。


原作とスタート地点を変える必要は特にないと思われますから、ここからハイジとクララの生年がわかります。


ハイジは1885年生まれて、クララは1882年です。


つまり、このままふたりがドイツなりスイスで生きていおりますと、第一次世界大戦とナチスドイツの台頭を目撃する事になるんですね。


しかも、ふたりはヒトラーとそんなに年齢が違いません。同世代と言ってよい。


そう考えて見ると、このお話で描かれた、誰にでも当てはまるような身近ながらも崇高なヒューマニズムの問題が、なんとも切実なテーマになってきますよね。


コレは戦後の日本です作られたアニメーションですから、さすがにナチスドイツの問題は結びつきませんが、ロバート・ベラーが言うところの「心の習慣」の危機を、すでに高畑、宮崎コンビは日本社会に感じ取っていたのかもしれません。


本作は、子供達にこそ見ていただきたいものです。



つい車椅子に頼ろうとしてしてしまった自分が情けなくなって泣いてしまうクララ。内面の変化の描き方が実に素晴らしいですね。



何に驚いているのかは説明不要。




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