【これまでのあらすじ】
映像の鮮明度は「東京ジョー」のスクリーンプロセス用アウトテイクと似ている。35mmフィルムのネガをテレシネしてデジタルデータにしたような解像感がある。
facebookのコメント欄ではカットとカットの間にテイクナンバーのようなものが入っているがその数字が「東京ジョー」のものと同じだ!という指摘があった。
【これが今回の映像に入っていた4というテイクナンバー】
【天地反転】
1949年の1月から2月末にかけてドラマ部分が撮影され日本でのロケはセカンドユニットが行ったという記述がある。
これまでに流出したアウトテイクの撮影時期は映像内に写っている映画ポスター、警官の腕章、走ってるクルマ、バイクなどから1948年の10月頃ではないか?という説が濃厚だ。
とするとスクリーンプロセス用の東京実景はドラマ部分の撮影に前に行われたことを意味する。
これによりアメリカのインターネット・アーカイブに登録されている3つの映像は「東京ジョー」のスクリーンプロセス用にセカンドユニットが1948年の10月近辺に東京で撮影したものと断定していいのではないだろうか?
その他の映像の発掘があればまた検証して続報としてお届けする予定である。
(つづく)
【今回の映像から切り出した大田区羽田の弁天橋から西へ産業道路までの車窓ギャラリー】
ハンフリーボガート主演の「東京ジョー」は終戦3年後の1948年に東京で撮られた初めてのハリウッド映画で映像考古学的にも興味が尽きない。
日本ではお蔵入りとなり1993年にひっそりと公開されているので相当な映画マニアでなければ見たことがない映画かもしれない。
この「東京ジョー」はドラマ部分はハリウッドで撮影され東京部分はB班(セカンドユニット)がハンフリーボガートの代役(スタンドイン)で撮影している。
このスクリーンプロセス(俳優の背景にプロジェクションしてカメラで再撮する手法)用の未使用テイク(アウトテイク)が流出しGHQの記録映像としてフィルムアーカイブに登録されていた。(関連記事>1948年に東京で撮影されたあの35mmフィルムの正体がわかった!!)
このブログでは「東京ジョー」が1948年に東京を35mmフィルムで撮影した大量の実景素材を探すことを最終目標にしながら、広大なネットに埋もれている映像を掘り起こし考古学的に検証していく。
早速見てみるとまるで過去にタイムスリップしてドライブレコーダーで撮ってきたような不思議な映像だった!!
最後の交通整理の警官が出てくるあたり、完全にタイムスリップしてる感がある。(特にパソコンの全画面で見ると意識が吸い込まれていく!!)
まずはその映像をご覧頂きたい。
映像の鮮明度は「東京ジョー」のスクリーンプロセス用アウトテイクと似ている。35mmフィルムのネガをテレシネしてデジタルデータにしたような解像感がある。
facebookのコメント欄ではカットとカットの間にテイクナンバーのようなものが入っているがその数字が「東京ジョー」のものと同じだ!という指摘があった。
【これが今回の映像に入っていた4というテイクナンバー】

【天地反転】

たしかにこれは「東京ジョー」のアウトテイクに入っていたテイクナンバーと同じフォントだ!
ただテイクナンバー部分はネガ編集の段階でついたものなので、それが映画の制作段階なのか、その後いろいろな経緯でネガの断片が流出しフィルム・アーカイブになる段階でついたものかは判断できない。
ただテイクナンバー部分はネガ編集の段階でついたものなので、それが映画の制作段階なのか、その後いろいろな経緯でネガの断片が流出しフィルム・アーカイブになる段階でついたものかは判断できない。
このテイクナンバーの一致だけで「東京ジョー」のアウトテイクと断定するのはまだ早いだろう。
次に「東京ジョー」で使われる予定があったか?ということを検証してみたい。
次に「東京ジョー」で使われる予定があったか?ということを検証してみたい。
この映画のロケ地についてはこのブログがすでにほぼ解析していてこの映像考古学の基礎ともなっている。
また「東京ジョー」のこれまでの羽田アウトテイク部分の撮影ルートに関してはこのブログが徹底したリサーチをしている。
また「東京ジョー」のこれまでの羽田アウトテイク部分の撮影ルートに関してはこのブログが徹底したリサーチをしている。
1948年当時の高精度な航空写真と現在の衛星写真から現在も地理的に当時と同じ状態にある場所を割り出し、Googleストリートビューで1948年と2015年で同一の建物を発見するに至っている。
「東京ジョー」の英語版wikiには次のような表記がある。
「東京ジョー」の英語版wikiには次のような表記がある。
Principal filming for Tokyo Joe took place from January 4 to the end of February 1949 on the Columbia Pictures studio lot, not on location in Tokyo, Japan. A second photographic unit was dispatched by Columbia to Tokyo to collect exterior scene shots and was the first movie company allowed to film in postwar Japan.
1949年の1月から2月末にかけてドラマ部分が撮影され日本でのロケはセカンドユニットが行ったという記述がある。
これまでに流出したアウトテイクの撮影時期は映像内に写っている映画ポスター、警官の腕章、走ってるクルマ、バイクなどから1948年の10月頃ではないか?という説が濃厚だ。
とするとスクリーンプロセス用の東京実景はドラマ部分の撮影に前に行われたことを意味する。
スクリーンプロセスとは俳優の背景に映像を映写しながら別のカメラで撮影する手法なので当然の順序ではあるのだが、先に撮影するということはその段階の脚本で想定されるシーンを網羅してるはずだ。
つまりドラマ部分のセットも組まれていない段階で撮影するわけだからいろいろな可能性を考えてセカンドユニットは撮影をすると考えられる。
つまりドラマ部分のセットも組まれていない段階で撮影するわけだからいろいろな可能性を考えてセカンドユニットは撮影をすると考えられる。
その後の脚本のリライトやドラマ部分の撮影、また編集段階でカットされるシーンも多くあるのは映画の制作プロセスから考えて当然だ。
そこでもう一度この映像が「東京ジョー」に使用されているシーンと関連性があるのか?使われる可能性があったとしたらどのような場面なのか?を検証していく。
これまで発掘された映像はカメラが後ろ向きのまま進んでいく「後退映像」であった。
そこでもう一度この映像が「東京ジョー」に使用されているシーンと関連性があるのか?使われる可能性があったとしたらどのような場面なのか?を検証していく。
これまで発掘された映像はカメラが後ろ向きのまま進んでいく「後退映像」であった。
ハンフリー・ボガートが歩いているシーンの背景やクルマの後部座席に乗っているシーンで使われる前提で撮られている。
今回発掘された映像はこれと違って「前進映像」なのだ。
いわゆるドライブレコーダーで撮影したかのような映像だ。1カット目は少し右の車窓を撮っており、2カット目は同じ道を正面で撮っている。
【1カット目】
【2カット目】
「東京ジョー」の本編には羽田のシーンはあるものの、到着したハンフリー・ボガートが旅客ターミナルで軍人と会話すると次のカットは都内になっており、その後も何度か羽田空港は出てくるものの移動シーンはない。
もしこの羽田周辺の「前進映像」が使われるとするなら脚本上どんなシーンであった可能性が考えられるか?
到着したハンフリー・ボガートはひとりで来日する設定であり、羽田空港の最後のシーンでも出迎えなしのひとりで終わっている。そしてかつて東京に住んでいて戦争で離れていた日本に戻ってくるという設定である。
とすれば羽田から東京までタクシーかバスを使って移動するというシーンが脚本段階ではあったのかもしれないという推理が成り立つ。
今回発掘された映像はこれと違って「前進映像」なのだ。
いわゆるドライブレコーダーで撮影したかのような映像だ。1カット目は少し右の車窓を撮っており、2カット目は同じ道を正面で撮っている。
【1カット目】

【2カット目】

「東京ジョー」の本編には羽田のシーンはあるものの、到着したハンフリー・ボガートが旅客ターミナルで軍人と会話すると次のカットは都内になっており、その後も何度か羽田空港は出てくるものの移動シーンはない。
もしこの羽田周辺の「前進映像」が使われるとするなら脚本上どんなシーンであった可能性が考えられるか?
到着したハンフリー・ボガートはひとりで来日する設定であり、羽田空港の最後のシーンでも出迎えなしのひとりで終わっている。そしてかつて東京に住んでいて戦争で離れていた日本に戻ってくるという設定である。
とすれば羽田から東京までタクシーかバスを使って移動するというシーンが脚本段階ではあったのかもしれないという推理が成り立つ。
タクシーなら後部座席に乗り込み、左側に座った場合に運転手は少し右側に見える。アメリカは左ハンドルだからこの映像は右ハンドルの日本のタクシーを理解して撮影されている。
ハンフリー・ボガートが久しぶりの東京に着いてタクシーの運転手と会話するシーンが脚本にあったとすれば今回の映像がハンフリー・ボガートの目線で見た運転手ごしの東京の車窓という仮説はなりたつ。
ハンフリー・ボガートが久しぶりの東京に着いてタクシーの運転手と会話するシーンが脚本にあったとすれば今回の映像がハンフリー・ボガートの目線で見た運転手ごしの東京の車窓という仮説はなりたつ。
これによりアメリカのインターネット・アーカイブに登録されている3つの映像は「東京ジョー」のスクリーンプロセス用にセカンドユニットが1948年の10月近辺に東京で撮影したものと断定していいのではないだろうか?
その他の映像の発掘があればまた検証して続報としてお届けする予定である。
(つづく)
【今回の映像から切り出した大田区羽田の弁天橋から西へ産業道路までの車窓ギャラリー】
民家と割烹着姿の女性
特徴的な看板建築の商店